コロナ禍に卵巣のう腫で入院した記録、【入院2日目(手術当日/術後)】編です。
前回はこちら→【腹腔鏡手術】コロナ禍に卵巣のう腫で入院した記録【入院2日目(手術当日/術前)】
目次
入院までのあらすじ(毎回共通)
あるコロナ禍の初夏、卵巣のう腫(チョコレートのう胞)4cmと診断。
→通院しながら経過観察を続けるも、1年後10cm以上に成長。
→日常生活にも支障が出てきたため、腹腔鏡手術(腹腔鏡下手術)を決断。
コロナ禍ならではの入院の様子を記録していきます!
入院前の自分がありのままを知りたいと思った経験から、前向きな内容だけでなく辛かった体験、不安なども正直に書いていきます。
多くの方が書いているように、私もいざ入院してみると「あれ!?聞いてたのと違うぞ!?」ということが多々ありました。本当に、病院やその人によって対応・感じ方・症状の出方は違うのだと思います。
辛いことも楽だったことも、あくまで私の場合なので参考程度に読み飛ばしてくださいね。この記録が少しでもお役に立てば幸いです!
【入院2日目(手術当日/術後)】
噂通り、この術後~翌日の昼までが一番辛かった。逆にここを越えればもう大丈夫!
13:00頃
お湯さんわかりますか~!終わりましたよ~!の声で目覚める。あっ、先人たちのレポートで見たやつだ!と進研ゼミのような気持ちになる。ちなみに術前から恐れていた喉の気管チューブは、気が付いたら抜かれていて全く記憶になかった。
呼びかけに「はい」と答えようとするも、こ、声が出ない・・・?正確には、出てはいるもののカッスカスだった模様。早速気管チューブの影響が!
その後ベッドに移され、手術室からガラガラと運び出される。そして外に待機していた夫と母と対面。意識があいまいながらもめちゃくちゃ心配そうなのが伝わり、とりあえず「大丈夫(何が大丈夫なのかはわからんが)」とかなんとか伝える。
実はこのシーンも立ち合いは1名までだったのだが、術後説明のため急遽先生に呼ばれた母は偶然立ち会えたらしい。病院外に出ていろと言われたり、かと思えば戻れと言われたり、かなり慌ただしかったんだそう。ありがとうございます・・・。
この後夫と母は実際の手術内容を聞き、取り出した嚢腫の写真を撮らせてもらえたそうな。

次に部屋で意識がはっきりした時には、既に14:00頃だった。
14:00頃~翌日(最も辛い期間突入)
「本当に辛いのは術後」という話は本当だった。目覚めた後~翌日器具が外れるまでは、ただただ耐える時間が続く。唯一出来ることと言えば、看護師さんにお願いして横になったままうがいが出来るのみ。スマホは自由に触れるが、家族に無事を報告するなどの必要最低限以上は、体調が悪すぎて正直触る気にならなかった。
※私の病院では、術前にスマホや貴重品を鍵付きの引出しに入れていた。病院が同じ対応の方は術後看護師さんに取り出してもらうのを忘れずに!
念のため言っておくと、辛かったのは術後~翌日の昼、具体的には尿道カテーテルが外れるまで。若干の体調不良はあったものの、そこから先はみるみる回復していき、暇で仕方がないくらいだったので安心して欲しい。
術後すぐはこんな状態だった

①点滴:左手の手の甲に針が刺さっていた。ここから栄養?と痛み止めなどがまとめて送られていたようだった。ボタンを押すと自分で痛み止めを追加出来るシステムで心強い。
②酸素飽和度計(パルスオキシメーター):左手の人差し指に洗濯ばさみのように付いていた。めちゃくちゃ邪魔。
③心電図モニター:実際は肌に直接付いていた。この細いコードがベッド脇でもつれたり引っ掛かったりするせいで動ける範囲が制限されて、本当にわずらわしかった。
④尿道カテーテル(以下尿カテ):あまり付いている感覚は無いが、これが外れないと身動きが取れないので一刻も早く外したかった。ベッド脇に尿が溜まる袋があるようで、看護師さんが頻繁に中身を捨てに来てくれていた。
⑤弾性ストッキング:術前から履いている物。体調が悪くなってくると締め付けが辛く感じた。※フットポンプは必要に応じて付けるらしく、私の場合は付いていなかった。
⑥血圧計:服の上から自然に巻かれていて、しばらく気が付かなかった。
⑦酸素マスク:一番初めに外れた器具。「もう外して大丈夫ですか?」と聞かれて(いや美容院の「流し足りない所ないですか」くらい分からんわ・・・)と思いながら外された記憶がある。ゴツいので外れると少し身軽になった。
これだけ色々付いているためほとんど身動きが取れない。そのせいで身体の同じ部分が圧迫され続け、身体が痛んだり、息苦しく感じたりして辛かった。
その他、辛かったことや良かったこと
先ほどの点も含め、ざっくり箇条書きにするとこんな感じだった。
★辛かったこと(詳細後述)
①管や器具が邪魔で寝返りがほぼ打てない&枕が合わない
②喉の炎症により常に息苦しい
③↑これらによりほとんど眠れず、時間が経つのが恐ろしく遅い
④暑くて布団が掛けられない
★思っていたより良かったこと
・点滴から常に鎮痛剤が流れ込んでいるおかげで、傷が思ったより痛くなかった(10段階中3くらいの痛み)
・水は翌日昼まで飲めないが、うがいは出来る
・便意は無い
・看護師さんが1時間に1回様子を見に来てくれる(しかし次第に間隔が空いていく)
★こうすれば少しは良かったかも、ということ
・マイ枕と、暑がりの人はマイブランケットも持ち込む
(とはいえ私の病院はコロナ対策で布類持ち込み不可だった)
・眠剤をもらう
こんな状態のまま【入院3日目(術後1日目)】に続く。
以下は記録も兼ねた辛さの解説。長いので読みたい方だけどうぞ!
以下辛さの解説。長いので読み飛ばしてOKです
①「管や器具が邪魔で寝返りがほぼ打てない&枕が合わない」の解説

事前に貰った案内には「術後、寝返りは打ってください」と書いてあるものの、とにかく管や器具が邪魔すぎて正直まともな寝返りは打てない。そのせいで身体の同じ部位が長時間圧迫されて辛かった。また私は病院の枕が致命的に合わず、寝ているのが息苦しくなるほどだった。マイ枕を持ち込める方はぜひ持ち込むことをおすすめしたい。
またとても困ったのが、少しでも体勢を変えようと身体をずらすと、点滴の角度がズレてしまい度々エラー音が鳴ることだった。自分では止められないのでエラー音が鳴る度にナースコールをしなければならず、ノイローゼになりそうだった。
②「喉の炎症により常に息苦しい」の解説

気管チューブの影響で喉がイガイガするとは聞いていたが、ここまでの苦しさは予想以上だった。とにかく痰が出るし、呼吸するたびに喉に引っかかりを感じて息苦しい。看護師さんいわく、今できることはベッド上でうがいをする、痰を出すくらいしかないとのこと。ただうがいも横になったまま行うので、ガラガラと喉奥まで水を入れることは出来ない。口先で行うゆすぎに近いものなので、あまり効果は感じられなかった。
痛み止めがよく効いているのである程度は咳もでき、地道に痰を吐き出すことはできた。しかし痰が落ち着いた後も、炎症を起こしているらしい喉奥の引っ掛かりは翌日まで気になり続けた。体勢が変えられずただでさえ息苦しいので、呼吸をするたびにぜーぜーと喉が引っかかるのは追い打ちをかけるようでかなり辛かった。
のどぬーるぬれマスク等も持参していったが、元々長時間マスクを着けるのが苦手な私はこれ以上息苦しくなるのが恐ろしくて着けられなかった。
また、かなり長い間喉と格闘していたので咳払いが相当うるさかったと思う。この点でもやはり、周りを気にせずにすむ個室で良かったなあと痛感した。
喉に関してはここまで辛く無かった方も多くいるようなので、程度の重さは元々の喉の丈夫さによるのかもしれない。
③「↑これらによりほとんど眠れず、時間が経つのが恐ろしく遅い」の解説

①や②と格闘し、少し落ち着いて(諦めが付いて)くる頃、「えっ、もしかして明日までこのまま???」と気づくのだが、これがなかなかの絶望だった。目を閉じて必死に寝ようとすれば一瞬は眠れるが、数分おきに目が覚めてしまう。これを翌日までただ繰り返すしかなかった。時間の進みが遅すぎて時計を見るのが嫌になり、後半は見ないようにして過ごしていた。
退院後他の方のレポートで「術後眠剤を貰って眠った」というのを見かけたので、可能であれば看護師さんにお願いした方が良いと思う。その手があったのか・・・
④「暑くて布団が掛けられない」の解説

「術後歯がなるほど寒かった」という話をよく聞いていたのだが、暑がりな上熱も出ていたせいか、私はむしろ暑いくらいだった。そんな中病室の布団は冬物のように分厚く、術前ですら数分かけているだけで滝汗をかく代物だった。そのため術後は、布団をかけてもらうタイミングで「暑いのでバスタオルでお願いします」と自己申告した。痛いやら息苦しいやらに暑いまで加わるのは本当に苦しかったと思うので、不安なことや変えて欲しいことはとりあえず申告するのが大事だと痛感した。
しかし掛けてもらったのは良いが、タオルなのでまあずり落ちる。何もかかっていないのもそれはそれで気になるので地道に直し続けるのだが、この体調の中では少ししんどい作業だった。
私の病院はコロナ対策で布類が基本持ち込み禁止だったが、そうでない方はタオルケットなどを持参すると良いと思う。
改めて、【入院3日目(術後1日目)】に続く。